本編が始まる前、まだ二見が志馬のことを苗字で呼ぶほど遠い関係だった頃のお話です。こんな2人が本編でどんなふうに「はじめて」を経験するのか、お楽しみに!
こじらせ恋愛系
(文:GINGER BERRY)
(文:GINGER BERRY)
――また見てる。
陸上部の練習が一段落ついて、汗を拭いていると、背後からの視線を感じた。振り返ると、その粘つくような強い視線の持ち主は何事もないかのようにすっと顔を逸らした。
視線の主は川井志馬。
この4月に陸上部に入部してきた1年生。176pの細身の身体。俺と同じ短距離で、100メートル11秒台。その上、真面目でいつも黙々と練習に励んでいる。部員数19名のこじんまりとしたうちの陸上部としては期待の新人だ。
最初は俺のフォームを見てるのかと思っていた。
陸上部の中でインハイレベルの記録を持っているのは、短距離走じゃ俺だけだ。気になるのはわかる。
でも、こいつのはそういうレベルじゃなかった。
視線を感じて振り返れば志馬がいる。
部活中だけじゃない。
廊下で、グラウンドで、学校中、どこでも。いつでも。
なんなの、お前。俺のストーカーなの?
しかも振り向くと、必ず目を逸らし何事もなかったかのような顔をする。
基本的に川井は無表情な奴だけど、そういう時はいつも以上に表情がなくて、ちょっと怖い。
まあ、見たかったら別に見ればいいけどさ、実害ないし。
でも、視線以外のアプローチがまったくないのが気に入らない。
それに川井のちょっと異様な視線に、最近は俺以外の奴らも気づき始めている。
なにか用があれば言ってくるだろうと放置していたけれど、そろそろこの辺りでどうにかしたほうがいいだろう。
「川井、どうかした? なんか俺に用?」
「別に」
そう思ってにこやかに話しかけてやると、川井はクールに俺の好意を踏みにじろうとしやがった。
――てめえ、あんだけ見といて、『別に』ってことはないだろうが。
そんな暴言は腹に秘め、にっこり笑ってやる。
「それならいいけど。困ったことがあったら、なんでも相談しなよ。お前には期待してるんだからさ」
「期待?」
「うん。俺のあと継いでエースになってくれるの、お前じゃないかと思ってるんだ」
「……先輩みたいなんて、無理です」
「そう? お前の走り、いいよ。俺は好きだけどな」
「…………」
「練習熱心だし、フォームも悪くない。このまま努力していけば、結構いい線いけるはずから、頑張ろう」
「ありがとうございます」
ぼそりと川井が呟く。
その視線は地面に落ち、表情は暗いままで手応えがない。
……なんなの、その塩対応。
ここまで褒めてやってんだから、少しくらい嬉しそうな顔しろよ。
あんな目で俺を見ていたくせに、いまは視線を合わせようともしない川井に、なんだか無性にイライラしてきた。なんとか、こいつから反応を引き出してやりたくなる。
「大丈夫だって。それだけ身長あるの、短距離には有利だよ。あっ、ちょっと手を見せてみて」
「っ」
「うん。手が小さいのも悪くない。手とか足先とか、身体の中心から遠いパーツは小さい方は有利だっていう話があってさ……」
「………あの、二見先輩。手、離してください」
あれ? なんか川井の手、震えてる? それになんか、顔が赤くない?
嫌なら手なんか振り払えばいいのに、固まったように動かないし。
なに、この反応。……もしかして。
「とにかく期待してるんだからさ。頑張ってよ、志馬ちゃん」
肩を抱いて、耳元に囁く。
その瞬間、ぶわぁっと目の前の肌が赤く染まった。
「……なんですか、それ。変な呼び方するの、やめてください」
「やーだ。だってお前、志馬ちゃんって感じだし」
「意味わかんないです」
肩を組んで、ちょっと耳元で囁いてやっただけなのに、薄いTシャツ越しに感じる体温が、わかるほど高くなっている。
言葉も表情も変わらないのに、ただ、全身が発火するみたいに熱い。
「どうしたの。なんか、顔赤いよ」
「先輩がくっつから暑いんです。離れてください」
一生懸命取り繕っているけれど、どんどん上がっていく体温と耳まで赤い顔が、川井の努力をすべて裏切っている。
――なーんだ。こいつ、俺のことが好きなんじゃん。
そう思えば、あの強烈な視線の意味もわかる。
川井が男だから考えてもみなかったけれど、あれは俺のことが好きな女の子からの視線と同じだ。
「はあ? お前、先輩に対してその口の利き方はどうよ」
「……すみません」
「よし。じゃあ、俺のストレッチも手伝って」
「俺が、ですか」
「うん。嫌?」
「先輩相手に嫌とかないですけど……」
減らず口を叩きながら、俺の背中にあてられた掌は、怯えるように震えていた。首筋に強い視線を感じる。その視線も掌も熱くてギラギラして気持ち悪い。気持ち悪すぎて、むしろ興奮する。俺の背中を大切に触れる手つきが、すっげえ童貞っぽくて、いやらしい。
つか、お前、手汗かきすぎ。俺の背中、手の痕ついてるんじゃないの?
でも、そこまで動揺してるのにストレッチの手は抜かないのが、真面目な川井っぽい。
あー、なんか、この感じ。いいな。
「ストレッチ終わったら、アイス食って帰ろうよ。あ、かき氷でもいいや。俺、レモン気分」
「はい?」
「奢ってやるから、俺の自転車、代わりに漕いで」
「なんで、俺が……」
「あの坂、他人乗せて登るの、結構ハードなんだよな。ガンバレ、後輩」
「それって、後ろに二見先輩乗せるってことですか」
「当たり前だろ。なにもしないで奢られる気かよ」
「奢ってほしいなんて言ってませんけど。それに自転車の二人乗りは違反です」
そう言いながら、川井の口元が嬉しそうに歪んでいる。ソワソワと視線が泳いでいる目元は、相変わらず真っ赤だ。
言ってることと態度が、まったく一致していない。
それなのに、本人はたぶん、それに気づいてない。
ヤバイ。なにこいつ、可愛い。
俺が笑うと、なにに笑われたのかわからないからか、川井はほんの少しだけ不安そうな顔をした。でも、張り詰めた水の表面が揺れるような変化はすぐに消え、ただ、あの熱っぽい眼差しだけが残る。
「行こっか。志馬ちゃん」
先を行けば、今度こそ遠慮なく、ビームのような視線が俺の背を焼く。その熱さにひとりほくそ笑む。
――もうすぐ、高校生最後の夏が始まる。
新しく始まるなにかの予感に、俺は大きく空を仰いだ。
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